雑誌はたまに、わざと変なことを言って議論を呼んで売り上げを伸ばすという高等戦術を使うから侮れない
AERAの「PC無しでケータイで済ます奴らは下流」なんていう記事もそう
コミュニケーションということに限って言えば、「ケータイがあればPCは要らないよね」っていうのは、そんなに悪くないと思う
でもそれは、テレビを見るということに限って言えば、「テレビがあればPCは要らないよね」っていうのがそんなに悪くないのと同じ
でもまさかAERAがそんな当たり前のことを記事にするわけはないから、「コミュニケーションということに限る」という条件はついていないのでしょう
そうすると、「PCではできてケータイではできないようなタスクをこなす能力がないやつは下流」っていうことになるのだろうけれど、それはまあ、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。かなり広い範囲で当てはまるだろうけど、例外もたくさんあるだろうね(最後に補足する)
別の可能性として、「2つの道具があるときに、その共通領域だけを比較して一方を不要と判断してしまうような人」が下流だと言いたいのかもしれない。つまり、ケータイとPCがあるときに、どっちもコミュニケーションに使えるからPCは不要だと判断してしまうような人は下流予備軍?
これはけっこうおもしろくて、共通領域があまり広くない2つの道具を比較している時点で(つまり価値判断をしようがしまいが)、ちょっと頭が悪いかもと思わせるものがある。AERAがしているのはまさにこういうこと。じゃあ、AERAが下流かと言ったらそんなことは(きっと)ないわけだから、「私たちを見ろよ、考え方がちょっと変でも下流になるわけじゃないよ」という心温まるお話なんだな(下流なんて言葉を使うやつがある意味下流かもしれないというのは置いておく、私のことね)
補足:PCにはできてケータイにはできないことっていうのはいろいろあるわけだけれど、そういう区別が将来どうなるかはまったくわからない。昔はメールもウェブ・ブラウジングもオフィス文書閲覧もケータイにはできなかったんだ。表計算は今の標準的なケータイにはちょっと難しいけど、フルキーボードのケータイがあればウェブアプリで解決できる。そもそも、「表計算」というのは手段であって目的ではない(たいていの場合は)。ケータイでもふつうに使えて、表計算ソフトの目的を達成できるようなソフトが登場する可能性は大いにある。ほかにも、
追記:さらに下の世代は学校で習うおかげでPCもふつうに使えるらしい
「わたし達の年代(藤田さんは22歳)はモバイルが中心なんですけど、今の中高生くらいになると、PCも使えちゃう。学校の授業でやるらしくて、普通にExcelとか使えるんです。わたし達のころは学校でもやってなかったのに」(ITmedia「ギャル社長に聞く、今どきのITとギャル」)
補足が、書いた本人の弱気を映し出してしまった感じですね。
この手の話を書く人の特徴として、下流ではない事を示すより、記事の悪さをけなす傾向にあるようです。
携帯電話で何をするにせよ、アイテムとセットにしてアイデンティティを構築してしまった人の特徴といえますな。
なるほど、記事になるかもしれませんね
「アイテムとセットでアイデンティティを構築した人は、この手の話を書く」
この手っていうのはよくわかりませんが、まあ、そういうのはあいまいでも大丈夫ですよ