勘違いも相手にしなきゃいけないんだから裁判所も大変ですな。税金の無駄遣いとまでは言わないけれど
そう、名誉を傷つけられたと勘違いして訴えていた裁判の判決が出た。なんでも、
人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。(大江健三郎『沖縄ノート』 p.210)
の「巨塊」を「巨魁」と誤読して(この時点で日本語にならなくなっているにも拘わらず)、「罪の巨魁という人がいるのなら絶対見に行かなきゃいけない」と思ってしまった人がいたらしい(曽野綾子の「誤読」から始まった。大江健三郎の『沖縄ノート』裁判をめぐる悲喜劇。)
作家の曽野綾子さん。壊すほど使い込んでいる広辞苑に載っていない語を大江健三郎さんが使うわけがない、とか思ったのかしら(たとえば大野晋『日本語練習帳』のp.18)
そういう人の調査を結構重要視している社説が2本
過去の事実を改変しようとすることを快く思っていない人が産経や読売にいるのだろう。彼らはきっと、「改変派」を貶めるにはどうすればいいかと考えたに違いない。そして、勘違いでも裁判沙汰にする困った「改変派」というイメージを作り出すことを思いついたわけ(マスコミが騒いでくれれば、ふつうなら門前払いになるような話でも裁判に持ち込める)。漢字を誤読した結果の変な日本語を疑わなかった作家なんて、そっとしておいてあげればいいのに、わざわざ社説で取り上げて注目の的にしてしまう。大成功でしょう。大人のいじめは陰湿だ

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